伝説のCARBOYステッカー
今回はチューニングに興味がある人ならほぼ知っていると思います
「CARBOY」という車雑誌を中心にしたお話しです。
車チューニング雑誌「CARBOY」
調べたら1980年に創刊してたんですね。残念ながら月刊誌としては2011年に刊行を終了したとの事です。
その後は「CARBOY returns!」として季刊誌的な感じで発行しているみたいですね。
チューニングにハマっていた90年代初期、とにかくこの雑誌は孤高の存在でした。
チューニング内容に関しても他の車雑誌が特集するような、いわゆる「ショップチューニング」ではなく、「プライベーター」自分で車をイジって楽しむ人たちを取り上げる事が多く親近感がありました。
そして「CARBOY」の誌面に紹介されたり、イベントでインタビューに答えた人などが貰える
「CARBOYステッカー」たるモノが存在していたのです。
非売品でそう簡単には手に入らない、こうなるともう
喉から手が出るほど欲しくなるわけです。
ニセ物やカッティングシートで手作りした物なども当時は出回りました。
レア中のレア物だったのです。
わたくしドミニコはこのステッカーをゲットする事ができました。
しかし、それは誌面に紹介されたわけでもなく、イベントで貰ったわけでもなく…
個人売買でRX-7用のマフラーを売っていただいた方からオマケで貰ったのです。
情けない(汗)、けどめちゃくちゃ嬉しかったのを覚えています。
年間グランドチャンピオンを目指す「ドリコンGP」
インターネットを開けば大抵の事は調べられる現在と違って、90年初期は携帯電話すらない時代です。
なので当時は雑誌の情報は不可欠でした。
本屋さんも多かったです。
中でも車のチューニング関連については、この「CARBOY」は本当に貴重な存在でした。
- ヤンキー系向け「ヤングオート」
- ショップチューンに強い「オプション」
- 読者参加型マニアックな「CARBOY」
振り返ってみても「CARBOY」はちょっと異色の存在だったんだな、と思います。
そして貴誌が主催して始まった「ドリコンGP」
これはもう熱狂そのものでした。
ドリフト走行で競い合い、年間グランドチャンピオンを目指すレース。
織戸学氏、碓井久彦氏、村尾慎吾氏、などなど数多くのドリフトスターを産み出しました。
とんでもないスピードでコーナーをドリフトして行く彼等にギャラリーも賞賛を送っていました。
雑誌主催のイベント、身近なスターの誕生、自分も参加したい!など盛り上がる条件が色々と揃っていたんですね。
そういう時代を引っ張っていった雑誌が「CARBOY」。
まさに孤高の雑誌だったんだな、とあらためて思います。
希少なものほど欲しくなるそれが「CARBOYステッカー」
前文の「CARBOYステッカー」もそうですが、限定商品、非売品、手に入れにくい物…、人はそういった希少価値に弱いものです。
最近では某ブランドの服、コラボ商品、シリアルNo.入り限定商品、ナイキのスニーカー、などなど後々のプレミアムが確定しているような商品が販売されています。
そういった、いわゆる「バズった」商品を手に入れた後に定価より高く売るという、「転バイヤー」と呼ばれる人たちも多いですね。
旧車にも完全に当てはまる事で2度と生産されない旧型車は車種にもよりますが現在とんでもない高値がついたりしています。
これによって古い物を大切にしよう、という考えが広がっていくのはとても良い事だと思うんですよね。
現在のトレンドは、ダウンサイジング、ミニマリスト、断捨離、よりシンプルにがキーワードな気がします。
旧車や古い物を大切にする、ちょっと時代に逆行している感が有りますがノスタルジーを大切にする事もまた未来への財産になるべき事だと思います。
「CARBOY」は時代背景と共に無くなってしまいましたが、そのスピリットは不滅なのでしょう。
読んでいただきありがとうございました!